2026年10月24日

「食べる」を支えることは、その人らしい人生を支えること
このたび、PDN(Patient Doctors Network)の情報誌「PDN通信」に、たのしみ歯科院長・齋藤貴之の記事「ごはんがたのしみの気持ちに応えたい」を掲載していただきました。
今回の記事では、訪問歯科診療や摂食嚥下リハビリテーションに携わる中で、私が大切にしてきた「食べることへの思い」と、私たちが目指す食支援についてお伝えしています。
「もう口から食べるのは難しいですね」
医療や介護の現場では、病気や加齢によって食べる機能が低下した患者さんや、そのご家族が、このような説明を受けることがあります。誤嚥性肺炎を繰り返したり、飲み込む力が弱くなったりすると、安全を考えて経口摂取を中止し、経管栄養や胃ろうなどを選択することもあります。
もちろん、誤嚥や窒息の危険性を軽視することはできません。患者さんの身体の状態を適切に評価し、安全性を十分に検討することは、医療者として欠かせない責任です。
しかし、そこで一度立ち止まって考えたいことがあります。
食べる機能が低下したとき、私たちは「食べられない」という事実だけを見ていないでしょうか。
その方が何を食べたいと思っているのか。どんな時間を過ごしたいのか。誰と一緒に食卓を囲みたいのか。
食べることには、栄養を摂取するという身体的な意味だけでなく、楽しみや喜び、人とのつながり、そして生きる意欲を支える大切な意味があります。
「もう一度、お寿司を食べたい」
「孫と一緒にケーキを食べて、誕生日を祝いたい」
「最後に家族と同じ食事を囲みたい」
こうした願いは、単なる食欲ではありません。その人らしく生きたいという思いであり、これまで大切にしてきた暮らしを続けたいという願いでもあります。
私たちが支えたいのは、食べるという行為だけではありません。その先にある、一人ひとりの人生です。
「食べられる・食べられない」の二択にしない
たのしみ歯科が大切にしているのは、「食べられるか、食べられないか」という二択で考えるのではなく、「どうすれば、その人らしく、安全に食べることができるか」を考え続けることです。
そのためには、お口の中だけを診ていても十分ではありません。
入れ歯が合っているか。歯や歯ぐきに痛みはないか。舌や唇を十分に動かせるか。食べ物をかみ、まとめ、飲み込む機能はどうか。食事のときの姿勢は安定しているか。食事の形態や一口の量は適切か。栄養状態や全身の体力は保たれているか。
こうしたさまざまな要素が、食べることに関係しています。
例えば、入れ歯が合っていないために食事が進まなくなっている方であれば、入れ歯を調整することで食べやすさが改善するかもしれません。食事中にむせる方であれば、姿勢や一口量、食べるペースを見直すことで、負担を軽減できる可能性があります。
また、食事の形態を工夫することで、これまで難しかった食材を食べられるようになることもあります。
大切なのは、何が食べることを難しくしているのかを丁寧に考え、改善できる部分を一つずつ見つけていくことです。
その際には、嚥下内視鏡検査(VE)などを活用し、飲み込みの状態を評価することもあります。検査結果だけで判断するのではなく、日常の食事の様子や全身状態、ご本人の希望などを総合的に考え、実際の生活につながる支援を組み立てていきます。
そして、もう一つ忘れてはならないのが、ご本人とご家族の思いです。
どこまで食べることを希望しているのか。どのようなリスクを受け入れられるのか。ご家族は何を大切にしたいと考えているのか。
医療者が一方的に決めるのではなく、それぞれの思いを共有し、納得できる方法を一緒に考えていくことが重要です。
胃ろうや経管栄養を選択しても、「食べる」を支えることはできる
食支援についてお話しすると、「胃ろうを造ってしまったら、もう口から食べることはできないのでしょうか」と質問されることがあります。
しかし、胃ろうや経管栄養を選択したことと、口から食べる楽しみをすべて諦めることは、必ずしも同じではありません。
もちろん、すべての方が口から食べられるわけではなく、病状や嚥下機能によっては経口摂取が適さない場合もあります。無理に食べることを勧めるのではなく、その方にとっての安全性や負担を慎重に判断する必要があります。
一方で、全身状態や嚥下機能を評価したうえで、適切な条件のもと、少量の食べ物を口から味わうことが可能な方もいます。
そのためには、口腔内を清潔に保つこと、必要に応じて入れ歯を調整すること、口腔機能や嚥下機能を評価することなど、段階的な取り組みが欠かせません。
たとえ食事として十分な量を摂取できなくても、食べ物の味や香りを感じること、家族と同じ時間を過ごすことが、ご本人にとって大きな喜びになる場合があります。
ただし、口から食べることが難しい状態では、少量であっても誤嚥や窒息の危険性があります。ご本人の希望を大切にしながら、医師や歯科医師などの専門職による評価と、適切な支援体制のもとで検討することが必要です。
私たちは、「食べられないから何もしない」と考えるのではなく、今できることは何かを探し続けたいと思っています。
食べることが難しい時期にも、お口をきれいにすること、口の中の不快感を減らすこと、好きな食べ物の話をすることなど、暮らしの中にできる支援は残されています。
その一つひとつが、その人らしい生活を支えることにつながると考えています。
食支援は、一人の専門職だけではできない
「食べる」を支えるためには、多職種の連携が欠かせません。
歯科医師や歯科衛生士は、口腔内の状態や入れ歯、口腔機能、嚥下機能などを評価し、必要な治療や口腔ケアを行います。
医師や看護師は、全身状態や病状、治療方針を踏まえて、食事を進めるうえでの医学的な課題を共有します。
管理栄養士は、栄養状態を評価しながら、必要な栄養を確保する方法や、食べやすく栄養価の高い食事の工夫を考えます。言語聴覚士は、嚥下機能などを評価し、必要に応じてリハビリテーションを行います。
そして、日々の食事を支える介護職の皆さんは、食事中の様子や小さな変化に気づく大切な存在です。ケアマネジャーは、ご本人の生活全体を見渡しながら、必要なサービスや支援をつないでいきます。
それぞれの専門職が持つ知識や経験を持ち寄り、同じ方向を向いて考えることで、初めて見えてくる可能性があります。
実際の食支援では、専門職が考えた方法を現場で実践できることも大切です。食事姿勢を少し変えることや、一口量を調整すること、食事の時間に余裕を持たせることなど、日々の暮らしの中で続けられる工夫が大きな意味を持つことがあります。
だからこそ、専門職だけで完結するのではなく、ご本人やご家族、日常的に関わる介護職の皆さんと一緒に考える必要があります。
私たちだけでできることには限りがあります。しかし、みんなの力を合わせることで、これまで難しいと思われていたことにも、新たな可能性が生まれます。
「ごはんがたのしみな毎日を、あなたと。」
たのしみ歯科の理念は、「ごはんがたのしみな毎日を、あなたと。」です。
私たちが大切にしている「あなた」は、患者さんだけを指しているわけではありません。
患者さんを支えるご家族、日々の生活を支援する介護職の皆さん、医師や看護師、管理栄養士、言語聴覚士、ケアマネジャー、そして地域で暮らすすべての方々を含んでいます。
「食べたい」という思いもあれば、「食べさせてあげたい」という思いもあります。
ご本人が食べたいと願っていても、ご家族は誤嚥や肺炎を心配しているかもしれません。反対に、ご家族が何とか食べさせてあげたいと思っていても、ご本人の身体には大きな負担がかかっていることもあります。
どちらかの思いを否定するのではなく、それぞれの気持ちを受け止め、医学的な評価を踏まえながら、一緒に考えていくことが大切です。
食支援に、すべての人に当てはまる一つの正解があるわけではありません。病気や身体の状態、生活環境、価値観、そして人生の歩みは、一人ひとり違います。
だからこそ、目の前の患者さんを知り、その人が大切にしていることを知り、その人の生活に合った方法を考えていきたいと思っています。
私たちが目指しているのは、歯科医療を提供するだけの場所ではありません。地域の皆さんと一緒に、一人ひとりの「食べる」を支え、その人らしい暮らしをつくっていく存在でありたいと考えています。
今回、PDN通信に記事を掲載していただいたことを通じて、改めて自分たちの役割を考える機会をいただきました。
「もう食べられません」という言葉は、決して「何もできません」という意味ではありません。
食べることが難しくなったときこそ、ご本人の思いに耳を傾け、何ができるのかをみんなで考える。その積み重ねが、暮らしの中に新しい喜びを生み出すことにつながるのではないでしょうか。
食べることは、生きること。そして、人生を楽しむことでもあります。
これからも、たのしみ歯科は地域の多職種の皆さんと力を合わせながら、「ごはんがたのしみ」という気持ちに応え、一人ひとりに寄り添う食支援を続けていきます。
PDN通信に掲載された記事も、ぜひご覧ください。
掲載記事:「ごはんがたのしみ」の気持ちに応えたい
https://www.peg.or.jp/paper/paper97.html
「ごはんがたのしみ」な毎日を、あなたと。
これからも、皆さんと一緒に考え、みんなでつくっていきたいと思います。