2026年6月01日

― ALSの患者さんと、ご家族の時間から考えたこと ―
「もう食べるのは難しいですね」
医療者として、そう伝えることは決して難しいことではありません。
嚥下機能が低下し、誤嚥のリスクが高くなれば、「禁食」という判断は医学的には自然な流れです。特にALS(筋萎縮性側索硬化症)のように進行性の病気では、身体の機能は少しずつ失われていきます。飲み込む力も例外ではありません。
今回の患者さんも、かなり病気が進行している状態でした。
口からの食事はほとんどなく、唾液が気管に入ってしまう“唾液誤嚥”も慢性的にありました。
医学的に考えると、「禁食にしましょう」という判断は決して間違いではありません。むしろ、安全を考えれば自然な提案です。
でも、その方には強い希望がありました。
「家族と一緒に食卓を囲みたい」
その言葉が、とても印象に残っています。
もちろん、私たち医療者は安全を守ることが大切です。
誤嚥によって肺炎になるリスクもあります。だから、「できません」と伝えることは簡単です。
けれどALSは、残念ながら少しずつ進行していく病気です。
半年後、一年後に、急に飲み込みが良くなるわけではありません。
もしかすると、「今日」が一番いい状態かもしれない。
そう考えた時に、私たちは改めて、「この方にとって本当に大切なことは何だろう」と考えました。
ゆっくりお話を聞いていくと、見えてきたのは、「食べたい」という気持ちだけではありませんでした。
本当に大切だったのは、
「家族と同じ時間を過ごしたい」
という想いだったのです。
みんなで食卓を囲む。
季節の話をする。
誰かが「これ美味しいね」と笑う。
そんな何気ない時間の中にいたい。
それが、この患者さんにとって、とても大切なことでした。
そこで、嚥下の状態をもう一度丁寧に確認しました。
プリンのようなものを飲み込むのは難しい状態でしたが、口の中で少し味わって、必要があれば吐き出す形なら、安全に近い方法で楽しめそうでした。
ある日の食卓では、柔らかく煮た菜っ葉を少し口に入れて、くちゅくちゅと噛み、味や香りを感じてもらいました。無理に飲み込まず、吐き出してもらいます。
すると、その場に自然な会話が生まれました。
「菜っ葉が出てくる季節になったんだね」
ご家族が笑いながら食事をしている。
患者さんも、その輪の中にいる。
そこには、とても穏やかな時間が流れていました。
食事というと、「栄養をとること」を思い浮かべます。
でも、本当はそれだけではないのかもしれません。
誰かと一緒に過ごすこと。
季節を感じること。
安心すること。
「おいしいね」と気持ちを共有すること。
食卓には、そんなたくさんの意味があります。
もちろん、これは「危なくても食べましょう」という話ではありません。
リスクを丁寧に確認しながら、ご本人やご家族と一緒に考えていくことが大切です。
ただ、「食べられるか、食べられないか」だけではなく、
「どんな時間を過ごしたいか」
に目を向けることで、支えられるものがあるのだと思います。
歯科や嚥下支援は、「安全に食べる」だけではありません。
その人らしい毎日を支えることでもあります。
食卓を囲む時間。
季節の味や香り。
家族の笑顔。
そんな何気ない日常が、心を支えてくれることがあります。
これからも、その方にとって大切な時間を、一緒に考えていけたらと思います。