2026年9月12日

― 在宅復帰を見据えたPAPと義歯調整による「食べる」の支援 ―
2026年9月11日、神戸国際展示場・神戸ポートピアホテルで開催された第32回日本摂食嚥下リハビリテーション学会学術大会に参加し、発表の機会をいただきました。
今回の学会テーマは、「STATE OF THE ARTを超えて ― Beyond the State of the Art」。
摂食嚥下リハビリテーションの分野では、日々、新しい評価方法や治療技術、研究成果が生まれています。しかし、私たちが目指しているのは、新しい技術を知ることだけではありません。
その技術を、目の前の患者さんの「暮らし」や「食べたい」という思いにつなげていくこと。
今回の発表を通して、改めてそんなことを考えました。
入院すると「食べられるもの」が変わる
今回報告したのは、脳梗塞後の患者さんに対し、PAP(舌接触補助床)を用いた義歯調整を行い、在宅復帰後の食形態改善につなげた事例です。
高齢の方が脳梗塞などの後遺症によって摂食嚥下機能が低下し、誤嚥性肺炎を発症することがあります。
それまで自宅で普通の食事を食べていた方でも、肺炎をきっかけに入院すると、安全面への配慮から食事形態が変更されることがあります。
刻み食、やわらかい食事、ペースト食――。
もちろん、その時点で安全に食べるためには大切な選択です。
しかし、ここで考えたいことがあります。
「入院中に安全に食べられる食形態」と、「退院後の生活の中で続けられる食形態」は、必ずしも同じではないということです。
病院では専門職が食事を調整し、一口量や姿勢を確認しながら食事を支援することができます。しかし、自宅に帰れば、ご本人やご家族の生活があります。
「毎食ペースト食を準備し続けることはできるだろうか」
「家族と同じような食事を、もう一度食べたい」
「退院後も無理なく食事を続けられるだろうか」
退院というのは、単に病院から自宅へ場所が変わることではありません。
医療の中で守られていた食事を、もう一度その人自身の生活の中へ戻していくことでもあるのだと思います。
今回の患者さんについて
今回報告した患者さんは、78歳の男性でした。
脳梗塞の既往があり、軽度の運動障害はあったものの、発症前は自宅で普通食を食べて生活されていました。
その後、誤嚥性肺炎を発症し入院。肺炎をきっかけに、食事はペースト食へ変更されました。
入院中の安全な食事としては、ペースト食が選択されていました。しかし、退院後の生活を考えると、長期間ペースト食だけを継続することには課題があることが予想されました。
そこで今回は、退院してからどう食べるかを見据え、入院中から歯科が介入することにしました。
口腔内を確認すると、臼歯部には欠損がありましたが、咬み合わせの支えは保たれていました。
一方で、食べ物を舌で口の奥へ送り込む動きが十分ではなく、嚥下後には口蓋に食物が残る様子がみられました。
食べ物を飲み込むためには、単に「飲み込む力」だけではなく、舌で食べ物をまとめ、口の奥へ送り込む働きも重要です。
そこで注目したのが、PAP(舌接触補助床)でした。
PAPとは、「舌の動き」を支える装置です
PAPとは、上顎の口蓋部分の形を調整することで、舌と口蓋の接触を補助する装置です。
舌の動きが低下している場合、食べ物をうまくまとめたり、口の奥へ送り込んだりすることが難しくなることがあります。
そこで、舌が届きやすいように口蓋側の形態を調整することで、残っている舌の機能を活かしやすくします。
今回の患者さんでは、すでに使用していた上顎義歯を活用し、PAPとして再構築しました。
新しく大きな装置を作るのではなく、患者さんにとってすでに馴染みのある義歯をベースに調整できることも、今回の事例では大きなポイントでした。
義歯の形が変わることで違和感が出ることも心配されましたが、大きな訴えはありませんでした。
PAPを装着してペースト食を摂取すると、舌と口蓋の接触が改善し、食べ物の送り込みがしやすくなりました。
また、嚥下後に口の中へ残る食物も減少しました。
わずかな形態の違いが、食べ物を送り込むための「動き」を変える。
歯科だからこそできる、摂食嚥下リハビリテーションの一つだと改めて感じました。
退院後に向けた「次の一歩」
今回、私たちが特に大切にしたのは、入院中の食事だけで終わらせないことでした。
入院中は、安全にペースト食を食べることができる。
そこで終わりではなく、その先にある「自宅で何を、どのように食べるのか」を考える必要があります。
退院後は、バナナやおせんべいなども用いながら、咀嚼することを少しずつ再開していきました。
食べ物の形態を急に戻すのではありません。
その方の状態を確認しながら、少しずつ段階を上げていく。
「ペースト食しか食べられない」から、「もう普通食に戻れる」という二択ではなく、その間にはさまざまな段階があります。
そして、その一歩一歩を支えることが、リハビリテーションなのだと思います。
今回の事例では、PAPによって舌と口蓋の接触が改善し、食べ物の送り込みが円滑になりました。
送り込みにかかる時間の短縮や、嚥下後の口腔内残留の減少も確認されました。
さらに、入院中から義歯を装着して食べる経験を重ねていたことも、退院後のリハビリテーションにつながったと考えています。
口の中の環境が変わることに少しずつ慣れながら、退院後には食形態を段階的に上げる訓練へ移行する。
「入院中の食事」と「在宅での食事」を切り離さずにつなぐことの大切さを感じた事例でした。
「安全に食べる」の、その先へ
医療の現場では、安全性を考えるあまり、「食べられるもの」を狭く考えてしまうことがあります。
もちろん、誤嚥や窒息、肺炎のリスクを考えることはとても重要です。
しかし同時に、私たちはその人がこれからどのように暮らしていくのかも考えなければなりません。
退院したら誰と食事をするのか。
どのような食べ物が好きなのか。
家族はどこまで食事を準備できるのか。
もう一度、噛んで食べたいと思っているのか。
「安全に食べられる」ことと、「その人らしく食べ続けられる」こと。
その両方を考えることが、これからの摂食嚥下リハビリテーションには必要なのではないでしょうか。
私たち歯科は、歯を治療するだけではありません。
義歯を調整すること、噛める環境をつくること、舌の動きを支えること、口腔内を清潔に保つこと。
こうした一つひとつが、「食べる」という大きな営みにつながっています。
学会で学び、地域で実践する
今回、全国から多くの専門職が集まる学会に参加し、さまざまな研究や実践に触れることができました。
摂食嚥下リハビリテーションは、医師、歯科医師、歯科衛生士、看護師、言語聴覚士、管理栄養士、理学療法士、作業療法士、介護職など、多くの専門職が関わる分野です。
一人の専門職だけで「食べる」を支えることはできません。
だからこそ、学会で得た知識や出会いを、地域の現場へ持ち帰り、多職種の皆さんと共有し、実際の患者さんの生活につなげていくことが大切だと感じています。
たのしみ歯科でも、訪問診療、外来診療、病院との連携を通じて、「食べること」を生活の中から支える取り組みを続けています。
病院で治療が終わったら終わり。
歯科で治療が終わったら終わり。
そうではなく、その先にある暮らしまで見据える。
今回の発表は、そんな私たちの取り組みを改めて考える機会にもなりました。
「ごはんがたのしみ」な毎日へ
今回の事例を通して、改めて感じたことがあります。
それは、食べる力が低下したときに必要なのは、「できないこと」を数えることだけではないということです。
今、何ができるのか。
どのような支援があればできるようになるのか。
そして、その先にどんな生活が待っているのか。
PAPや義歯は、あくまでも道具です。
しかし、その道具を適切に使うことで、患者さんが再び食べ物を口にし、噛み、家族と食卓を囲むための一歩になるかもしれません。
「もう難しいですね」で終わらせるのではなく、もう半歩先を考える。
入院中から、退院後の生活を考える。
そして、退院後も地域で支え続ける。
今回の学会発表で得た学びを、これからも日々の診療に活かしながら、一人でも多くの方の「ごはんがたのしみ」な毎日を支えていきたいと思います。
たべることは、生きること。
これからも、歯科から「食べる」を支え、その人らしい暮らしにつなげていきます。
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